これは女学生同志が集まつての話しの一節である。
その内の一人が姉の結婚当夜を語り出したまゝを。
ぷつ!と、突然話手の少女が噴き出した。
─ 何うして?
一同の眼が彼女の顔に集まる。中には、最前から焦りて焦りて仕方のない女学生が、チェツ!といまいましそうに舌打ちする者も有つた。
─ だつて、婚礼の場なんて、新派のお芝居見たいのね?
─ いいわよ。そんなこと……。
─ 早くつてぱ!
─ あなた案外勇敢でないのね。妾なんかだつたら……。
─ 然う!こんな場合はジヤンヌダルクのやうに勇敢でなければいけない、わよ!
いや早や、その姦しい事姦しい事。女三人寄れば姦しいといふが、これは人数にしてもその倍。しかも初めて胸のときめきを覚え出した頃。見る物聞く物。一つとしで神秘たらざる無く、好奇心の湧かぬものとてない。まして彼女等の足許には、楽しいやうな恐ろしいやうな、性の深淵が、魔の淵のやうに横はつて居る。況んや、話題がお姉様の結婚、といふ頗る無類のエロテソク。鼻の下に銀色の生毛がビロ―ドのやう。高鳴る心肺のどよめきを豊かな手で、ソツト押へた者もある。ゴクリ、と唾を呑み込んで、さて婚礼といふ桃色にぼかされたイリユージョンは、彼女達の魂をあらぬ方角に引き摺つて行く。
─ さつきあたし、お荷物が山へ登つて来ると云つたでせう。一寸変じやなくて?それはかうなの。先のお家が湖の上の村なの。そして私の家は其処から六里も離れた町なのでせう。だものだから、その湖畔にある小さいホテルまで行つちやつたのよ。何だ彼だの、そりや大変な騒ぎなのよ。……そして、む昼頃実家を出たお姉様たちの俥は、沢山の荷物を先登にしてワツサワツサとお祭りのやうな行列
─ まあ!
─ それでホテルヘー先づ落ち着いて、其処てすつかり着附からお化粧迄直すんだわ。
―大変ねえ!
─ えゝ。でもね、昔は、もつとく大変だつたのよ。あの辺としては随分思ひ切つた新時代だゝつて東京の親類の人達も言つてたわ。それに、ハズがアメリカの学校を出た人でせう。だからまるで旧い式を無視してそれ丈よ、お父さんやお母さん達の旧思想が半分とハズの新思想が半分とゝなのよ。フヽ!これは附けたり。
─ 分つたわ分かつたわ。ぢや早くね。
─ いよいよ本論!
と、話手の女学生が言つた時、一同の手は、期せずして、パチパチと歓びに打たれた。
─ 旧式のお家なんだけれど、新郎の趣味で、お座敷の装飾は思ひ切つて清新な、明るいフランス式なのよ。そして、崇重を感じさせるのは十二世紀式の宗教書がクリーム色の壁に、黒いリボンで装飾されて掲げられて居た。それが明るいお部屋の中の空気をグツト引き締めて居るの だわ。けれども、実際の式は純日本風だつたわ。新郎新婦が向ひ合つて座ると、新郎の方の側には親族の人達が、そしてお姉様の側には、親族の人に並んで仲人夫婦が、チャンとして座ってるのよ、小さい男の子と女の子とが、赤いお盃を新郎に捧げて、新婦に捧げて、それを一同の人々に仲人から廻はすのよ。それが済むと、親族のお爺さんが、ホラ……高砂やあ、を唄つたわ。……アラわたしこん事忘れちやつたわ。
─ ?
─ だつて、それやグドグドしいのよ。同じことを何遍も何遍も繰り返すんですもの。だから了ひの半分なんか覚えてないわ。
─ 床直しつてあるの?
─ するわよ。こゝでお姉様お衣裳をお更えに成つたわ。そして、初めてお頭巾を取るのよ。そして、新郎と顔見合はせて、
─ ニツコリなさつた?
─ ホ、ヽヽ!いやな方。
─ でも、嬉し相な表情じやなくて?
─ 知らないわ。そんなデリケートな事。
─ それから?
─ それから、は、新郎新婦は他のお部屋、ハレム(寝室)へ引き取るんだわ。そしてお座敷はお客さんが何時までも残って騒いでゐるんだわ。然う然う、お姉様がお引き取りになるとき、仲人の奥さんと伯母さんとが一緒だつたわ。
─ えゝ?
と、待ちに待った場面に到着しかかった時、きき手の一人が思はず息をはずませて奇声を発したので、一同ドツと吹き出す。
─ ハレムは、どんなお部屋?
─ ステキよ。此処はなんて落ち着いた装置でせう。あたしこのお部屋を外から一眼見てスツカリお姉さまが羨やましくなつたわ。だつて、幾らアメリカの学校を出た人だからと云つて、こんなに芸術的教養のある男子なんて少ないわ。
─ あなた、ハレムなんて神聖な結婚につかつちや失礼ぢやなくつて
─ 何故?
─ だつて、ハレムていふのは、娼婦のあれぢやなくつて。
話し手は、つと口を噤んだ。実は、彼女とても、ハレムの本当の語義を知つて使つたのではない、オリエンタル、が馬鹿に詩的に響くところから好きであるやうに、ハレムを好んだのに過ぎない。だから、かう追求されて見ると、胸が怪しくも戸迷ふのも無理はない。
─ 然うよ。このやうな淑女紳士の寝室に、ハレムなんて呼ひ方は冐涜だわ。
と、中でも一番年長らしいのが決定権を高唱した。
─ ハレムのローマンスていふフランスの小説をお読みになつて?
…………それやあワイよ。男が毎日毎日変るんぢやないの、其処のヒロインはとても博愛主義。お客を何うすれば有頂天にして帰へす事が出来るか、なんて事を生活の全部にしてゐるのよ。
─ まあ!
─ だつて××さん。王宮にも有るのでせう?
─ えゝ、有ることは有るらしいわ。けれどそれだつてお妾さん見たいなものよ。だからあたしの次の時代にほんとうの自由恋愛時代が来ても、ハレムのやうなものは全然必要ぢやないわ。
─ 然うね。ぢやあ××さん!
と、話し手の女学生に向ひ、
─ 前言取り消しをなさつちや何う?そして早やく先へ行きませう
─ それではハレムを取り消すわ。
─ ─ えゝそして夜の部屋になさいな。
茲で、先づハレムの方はそのやうな訳で取消し、改めてローマンスはナイトルームの中で発展しやうとする。が、我親愛なる読者諸君よ!諸君は既に、女学生の如何に愛すベきものであるかを御承知であらう。これを見ても分る。彼女達の聞かうとし、彼女達の云はうとするローマンスが、新婚の部屋に於ける空想七分の性的描写だといふのに、ハレムなる語は神聖を涜すものだといふ理論に附会しなければ気が済まないのである。このやうな少女が将来のマダムと成る。当今無数の不良マダム又一日にして成らざる所以かなだ。
―窓に緑のカーテンが垂れてゐたわ。そして、お部屋の中は夢見るやうな淡紅色の配光。お部屋の真ン中に敷き並ベられた一紙の夜具。純白の敷布に、上に掛つた夜具の燃えるやうな紅の艶かしさ。
─ うーむ!
─ あら!
─ 野次はお断りします。それから!
─ そのお部屋へ、床直しでお着附を直したお姉さまが先に、後からハズ、その後から小母さんが二人続いて這入つて行つたわ。すると、間の唐紙が音もなく閉ぢつちやつたわ。
─ まあ詰んない!
一同思はず失笑─ が直ぐに怪しい眼付で睨む真似。
─ あたしこそ詰んなかつたわ。これでおめおめと引き下つたのでは今までの苦心が水泡に帰するぢやないの。それで、どうしたと思つて?
─ 何うして?
─ あたしちやんとこんなことが万一あつた場合にはと、思つて、チヤンと第二の計画を用意してゐたわ。
─ 偉い!
─ だからちつともあわてなかつたの。ゆうゆうと、次のお部屋へ取つて返へしました。ホ、、 笑つちやいやよ、そのやうな晩だから、それにお座敷ではまだ沢山のお客さまが騒いでゐらつしやるのでせう。男の人や女の人がウロウロしでるんですもの。あたしなんかに構つてる人は一人だつてゐやしないわ。此処が絶好のチヤンス!
─ 旨いわねえ。
─ このチヤンス逸すベからずと、直に第二の計画に移つたわ。ソツトお部屋をはずしたの、そしてあたし達に当がはれた部屋へ帰つて来たわ。このお部屋の一方は仲庭に面し、一方にドアがあり、ドアを開けるとサンルームがハレム、おつと御免なさい、ナイトル-ムの外にあるのよ。この家の中の建造は、スツカリお兄様の趣好になつたものだから、こんな時には理想的なので。あたしの、計画といふのはそのサンルームへ忍び込むことだつたの。
―あゝ然う!
─ 首尾よく忍び込めて?
―えゝ上々吉。ホホヽだつて随分冒険だわね。とても今の私には出来ない事よ。といふと、すかさず一人が、
─ どうだか!
と言つたので時ならぬ喊声が挙がるのを、年長のが怖い顔して押し止める。
─ 不安は不安だつたわ。それでもどうにか音も立てずに忍び込めたので、ソツト足音を忍ばして窓の方に近づいて行つたの。そしたら、まあ、お二人が立つたまゝでキスしてらつしやる。
パチパチパチ、と猛烈な拍手と喊声。それが一しきり静まると、
─ 立つてらつしやるの。
─ 然うよ。お姉様の顔、とても嬉しそうなのよ。眼をかう上へ向けて、半ば開いて夢見心地なの。そして、ハズの肩の上ヘグツ、
─ あらいやだ!
─ 御免なさい!あたしツイ、失礼ね。かういふ風に手を置いてるのよ。
─ まあ!
─ そして二人共固くなつてるの。それから暫くして、静かに離れたわ。お二人共お寝巻なのお兄さよが何かおつしやつたやうだつたわ。すると、お姉さまが、ニツコリ笑つて、二人け顔を見合はして、又…。
─ 然う。とても猛烈なのよ。そして、今度はだけど早かつたわ。でも、そのままでつと、お床へおはいりになつたの時々、
すつたのね、大分時間が経つて、×××××××××××然うかと思ふと、
一同の中から、苦し相なうめき声を発する者がある。(夜の東京より)