女「お泊りなさいませませ」
弥次「エヽ引張るな、此処を放したら泊るべい。」
女「すんならサアお泊り。」
弥次「赤んべい。」
北「いゝ加減に此所へ泊らふか。」
女「さあお這入りなさいませ。」
亭主「コレハお早ふございます。御連れ様はお幾人。」
弥次「蔭共に六人。」
亭主「ヘイ、それ三太郎は居ぬか、お湯を取つて来い。お茶は煮てあるか。それ先づ御風呂をひとつあげろう。お飯も出来た、直ぐにお這入りなさいませ。」三人足を洗ひ奥へ行く。
女「お湯にお召なさいませ。」
弥次「ドレお先へ参ろう。」と裸身になりでかけ出す。
女「モシ其処は雪隠で御座ります此所へ。」
弥次「ホイ、それは。」と湯殿へ行く。
十吉「時に彼の藁苞は。」
北「床の問に置きやした、後の寝酒に作へてもらひませう。」この時十吉湯に入りに立つ。
北「時に此所代物はすしかの。」
女「此の間木曽の追分から来た女郎衆が二人ございますからお呼びなさいませ。」
弥次「面白からう、器量は?」
女「マア十人前でございます。」
北「ハ、……十人前の飯盛か面白い呼てくんな。」
女「すんなら只今。」ト立て行く、十吉湯より上りきて。」
十「お前方何か野暮からぬお噺だね。」
弥次「主や如何だ。」
十「イヤ私は彼の内の女に少し咄し合がありやすよ。」この時宿の女きたり。
女「是は御如才てございます、サアおかへなさいませ、モシ今のが参りました。コレお前等、此処い来なさろ、ドレ向へに。」とやがてふすまのかげに立てのぞき居る女を引張り、
女「サアサア来なさろさろ。」
飯盛お竹「アレサ、一人で行きますから引なさんな。」
今一人の飯盛おつめ「何をハア出べいとこさ、お竹さんつて出なさろ。」
と二人座敷へ座る。
北「サア爰へ来なせい、時に女中膳は引て酒にしやう。」
女「ハイ今に出します。」と、膳を引て酒肴をもち出す。
女「サアーつ上りませ。」
弥次「ドレドレ。」一口のんでお竹にさし。
お竹「コレヤハア私にかへ。」と呑むまねして北八へさし、北八呑んでおつめへさし、
おつめ「私等呑ましねい、ヤレサア此衆強につぎやる事よ。」
女『お竹さんお前方最うお寝みなさいませ。」
竹「ホンニ私は次の間へ寝やせう。」
弥次「ナニサー所に此へ。」
十「是は迷惑な。」
女「サアお前方も着替て来なさいまし。」と夜着をはこび皆な布団の上に上ると、二枚折の屏風をもつて中をしきる、この内弥次郎のあい方きたりて、
竹「もう寝さつしやりましたかひ、寒い晩だアもし。」
弥次「モツト此所へ寄なせい、何も遠慮はねへから少と話てもしなせへ。」
竹「私等が様な者はお江戸の衆にはこつ耻かしく何も語るべいこたアごぎないもし。」
弥次「耻かしいも気が強い、お前もう幾才だ。」
竹「私やいアお月様の年だよ。」
弥次「ムヽ十三、七つて廿歳といふ事か、大分お酒落だの。」
竹「ホヽヽ私等此間追分から来て此所の客衆は何したらよかんべいか、お江戸の衆には気が詰つてなりましない。帯びも解な、而して此の足さア妾が上へ乗つけなさろ。」
弥次「オイオイ斯か斯か。」
竹「ヤレモツト上ヘつん出なさろ。」
弥次「オツト承知承知。」この時北八のあひ方おつめも来りて色々あれとも定り文句故省く。
早其夜も更りゆくまゝに、助郷馬の鈴の音も断へ、はては脊戸に嗚く犬の遠吠、ししを追ふ鳴子の音迄吹送る夜嵐の身にしむ計り燈火の、油もつきて何時の間にかは、真暗。この時彼の床の間に置きし泥亀のそりそりとはい出して北八が夜着の中へ這込と、北八びつくり目を覚し、頭を上ると泥亀うろたへて胸の当りへかけ上る。北八キヤツと言つて引つかみて投出すと、弥女郎が顔へばつたり弥次郎指先を食ひつかれてビツクリ、
弥次「アタタ、、、」
お竹「ヤレうつ魂消た、何うしたい。」
弥次「火を点して呉れろ、アイタタタ。」
お竹「何としたい。」と、騒ぐ程に、襖はづれて後にばつたり手をパチパチ。
北「真暗てねつから分らねへ。」
弥次「早く早くアタタヽヽ」此ひまに十吉弥次郎が布団の下に人て置きし、道中の路金を盗み、兼て。作りおきし石ころを紙に包みたるを取替元の布団の下へ人て置く、さてこの十吉は道中のごまの輩なり。弥次郎が金のあるを見て途中より付け来り、こゝに盗みしものなり。この内女房あかりを付てみれば、弥次郎の指に泥亀が食ひついて振つても離れぬに、
女房「何して此所に泥亀が来たや。」
北「アハハア、昼問の泥亀がつとの中から出たのだ、此奴スポンと抜けそうな物だ。」
弥次「エヽ酒落所じやねへ、アレ血が出る痛い痛い。」
竹「ソリヤ指を水の中へ入れめさると、じきに離してつん逃げ申すは。」
女房「ホンニそうなさいまし。」と雨戸を明る。弥次郎手水ばちの中へ手を入る、泥亀は離れて泳ぐ、
弥次「ヤレヤレヤレ飛だ目に遇つた。」
北「イヤ早、奇妙希代言語同断なことて有たハヽヽ」と其処等を取片付け夜明に間があればとて又も枕を取りてまどろみけるに、中に北八おかしく、
よねたちとねたる側には泥亀も辱かしいやら指を喰へた。
弥次も痛さを堪へて、
すつぽんに喰へられたる苦しさにこちや石亀の地だんだをふむ。