前編自序

屁てふものゝある故に、への字も何とやらをかしけれど、天に霹靂あり神に幤帛あり、鷹に経緒あり船に舳あり。草に屁青あり蟲に気虫あり狐鼬鼠の最後屁は一生懸命の敵を防ぐ。人として放ずんば獣にだも如ざるべけんや。放つたり嗅いだり屁たる君子ありといへば、強ち之れを賤しむべからず。今評判の撤屁男、論より証拠両国橋。(風来山人誌)

人参呑で縊る痴漢あれば、河豚汁喰ふて長寿する男もあり。一度で父なし子孕む下女あれば、毎晩夜鷹買ふて鼻の無事なる奴あり。大そうなれど嗚呼天歟命歟。又物の流行と不流行も、時の仕合不仕合歟か。又趣向の善悪によるならんか。柏莚が気どり、慶子が所作事、仲蔵が功者、金作が愛敬、広次が調子三五郎がしこなし、梅幸浪花をひしげば、富三東都に名を顕し、川口の参詣、浅草の群衆、深川の角力、吉野の俄、沙洲は木挽町に河東節の根本を弘むれば、住太夫は葦屋町に義太夫節の骨体を語る。或は機関、子供狂言、身ぶり声色辻談談、今にはじめぬお江戸の繁栄其品数は尽しがたき中に、さいつ頃より両国の辺りに、放屁男出たりとて、評議とりどり町々の風説なり。それつらつら惟みれば、人は少天地なれば、天地に雷あり、人に屁あり。陰陽相激するの声にして時に発し時に撤るこそ持もまへなれ。いかなれば此男、昔よりいひ伝えし階子屁珠数屁はいふもさらなり、砧すががき三番叟、三つ地七草祇園囃、犬の吠声、鶏屁、花火の響は両国を欺き、水車の音は淀川に擬す。道成寺菊慈童、はうためりやす伊勢音頭、一中牛中豊後節、土佐文彌半太夫。外記河東大薩摩、義太夫の長きことも、忠臣蔵矢口渡は望次第、一段づゝ三弦浄瑠璃に合せ、比類なき名人出でたりと。聞くよりも見ぬ。ことは咄にならず。いざ行きて見ばやとて二三輩打連れて、横山町より両国橋の広小路、橋を渡らずして右へ行けば、昔語り花咲男とことごとしく幟を立て、僧俗男女押合ひへし合中より、先づ看板を見れば、あやしの男屁もつたてたる後ろに、薄墨に隈取りて彼の道成寺三番叟なんど数多の品を一所に寄せて書きたる様、ゆめを描く筆意に似たれば、此の沙汰しらね田舎者の、若し首掛りて見るならば、尻から夢を見るとや疑はんと、つぶやきながら木戸を入れば、上に紅白の水引ひき渡し、彼の放屁漢は噺とともに小高き所に座す。その為人中肉にして色白で、三ヶ月形の撥鬢奴、縹の単に緋縮緬の襦袢、口上爽にして憎気なく、噺に合せ先づ最初が目出度三番叟屁、トツパヒヨロヒヨロピツピツピツと拍子よく、次が鶏東東天紅をブ、ブウーブウと屁分け、其跡が水車、ブウブウブウと放りながら己が体を車返り、さながら車の水勢に迫り、汲んではうつす風情あり。サア入替り入替りと打出しの太鼓と共に立出づ。朋友の許に立寄り、放屁男を見たりといへば、一座挙つてこれを論ず。或ひは薬を用ひて放るといひ、又は仕掛のあるならんと衆議さらに一決せず予衆人に告げて曰、諸子いふことなかれ。放屁薬ある事は我甞てこれを知る。大坂千種屋清右衛門といへる者、をかしき薬を売るがすきにて、喧嘩下し屁ひり薬等の簡板を出す。其薬得たれど、それは只屁の出るのみにて、かやうの曲屁を放ることを聞かず。又仕掛ならんとの疑ひ尤もに似たれども、竹田の舞台に事替り、四方正面のやりばなし、しかも不埒の取締り、何に仕掛の有りとも見えず。数万の人の目にさらし仕掛の見えぬ程なれば、譬仕掛有りとても、真に放ると同前なり。衆人真に放るといはゞ、其糟を食ひ其泥を濁らして放と思ふて見るが可し。扨てつくづくと案ずれば、かく世智辛き世の中に、人の銭をせしめんと、千変万化に思案して新しき事を工めども、十が十、餅の形昨日新らしきも今日は古く固より古きは猶占し。此放屁男計は、咄には有りといへども硯見る事は我日本神武天皇元年より此年安永三年に至つて、二千四百三十六年の星霜を経るといへども、旧紀にて見えず、いひ伝にもなし。我日本のみならず唐土朝鮮をはじめ、天竺阿蘭陀諸々の国々にもあるまじ。於戯思ひ付たり、能く放つたりと誉れば、一座皆感心す。遙末座より声を掛け、先生の論甚だ非なり。余申すべき事有りと出るを見れば、頃日田舎より来りたる石部金吉郎といへる侍なり。以つての外の顔色にて、扨々苦々敷事を承る物かな。それ芝居見世物の類、公により御免あるは人を和するの術にして、君臣父子夫婦兄弟朋友の道をあかし、譬へば大星由良介が仕打は忠臣の鑑となり、梅ヶ枝が無間の鐘は女の操をすすむるなり。見せもの異様なるも親の罪が子に報ひ、狩人の子は不具と成り、悪の報ひは針の先、必ず人々油断するなとの教へなるに、近年は只銭儲けのみに掛り、かやうの所へ心を用ひず剰さへ屁ひり男の見世物言語同断のことなり。夫れ屁は人中にて放るものにあらず。放るまじき座敷にて、若し誤つてとりはずせば、武士は腹を切る程恥とす。伝へ聞く、品川にて何とかいへる女、客の前にて取りはずせしが、其座に小田原町の李堂、堺町の巳なんど居合せて笑けるに、彼の女忍び兼ね、一間に入りて自害せんとするを、傍輩の女が見付け、さまざまに諌むれども一座がかのほとりの者なれば、悪口にいひふらされ、世上の沙汰に成りなば、どうも活きてをられぬとのせりふ、彼の二人も詞を尽し、此事决していふまじとひたすらなだむれども、イヤイヤ今こそ左様に請がへ給て、跡にて言ひ給はんは必定、活きて恥をさらさんよりは死なせてたび給へとかきくどき、とどまる気色あらざれば、二人もすべき方なくて、此事口外せまじきよし、証文を書いて漸々自害をとどめしめしとかや。可笑事の様なれど、女が自害と覚悟せしは、情を商ふ身の上にて恥を知つて生命を捨てんといひ、又いき過の通者も憫隠の心ありて、おほづけなくも証文書いて人の命を助けしは、又艶しき事ならずや。かく人の恥とすることゝ、大道端に簡板を掛け、衆人の目にさらす事無躾千万此上なし、見せるものは銭儲け、見るが鈍漢なりと思ふに、先生雷同し給ふ事見限り果たる事なり。盗泉の水、勝母の地、皆其名をさへ悪むなり。非礼聞くことなかれ非礼見ることなかれとは聖人の教なりと。青筋ばつてのいひぶん。予答へて曰く、子が辞甚だ是なり。去りながらいまだ道の大なる事を知らず。孔子は童謡をも捨てず。我亦屁ひりを取る事論あり。夫れ天地の間にあるもの、皆自ら貴賤上下の品あり、其中に至り極まりて下品とあるもの大小便に止る。賤しき譬喩を漢にては糞土をいひ日本にては糞の如しと。其糞小便のきたなきも、皆五穀の肥となりて万民を養ふ。只屁のみ放つた者、暫時の腹中快き計りにて、無益無能の長物なり。上天のことは音もなく香もなしといふに引かへ、音あれども太鼓鼓の如く聞くべきものにあらず匂ひあれども伽羅麝香の如く用ゆべき能なし。却つて人を臭がらせ、韮蒜握屁と口の端にかゝり、空より出で空に消え、肥にさへならざれば、微塵用に立つことなし。志道軒が腐儒をさして屁ひり儒者といひ初しも、尤も千万の詞なり。斯くばかり天地の間に無用の物と成果てゝ何の用にも立たざるものを、こやつめが思ひ付にて種々に案じさまざまに放りわけ、評判の大入小芝居なんどは広くべき勢ならず、富三一人が大当りは菊之丞が余光もあり。屁には固より余光もなく惚人もなく贔負もなし。実に木正味むき出しの真剣勝負。二寸に足らぬ屁眼にて諸々の小芝居を一まくりに放潰す事、皆屁威光とは此事にて、地口でいへば撤柄者なり。されば諸々の音曲者、いふべき筈の口語るべき筈の咽を以つて、師匠に随ひ口伝を請け、高級金は欲しがられども微塵も文句に意なく、序破急開合節はかせの塩梅をしらざれば、新浄瑠璃の文句を殺し、面々家業の衰微に及ぶ。然るけ此屁ひり男は自身の工夫計りにて、師匠なければ口伝もなし。物いはぬ尻分るまじき尻にて、開合呼吸の拍子を与へ、五音十二律自から備り、其品品撤分ること、下手浄瑠璃の口よりも尻の気取が抜群よし。可だやいはん妙とやいはん。誠に屁道開基の祖師なり。但し音曲のみにかぎらず、近年の下手糞ども、学者は唐の反古に縛られ、詩文章を好む人は韓柳盛唐の鉋屑を拾ひ集めて柱と心得、歌人は居ながら飯粒が足の裏にひばり付き、医者は古法家後世家と陰弁慶の議論はすれども、治する病も療し得ず、流行風の皆殺し、誹諧の宗匠顔は芭蕉其角が涎を舐り、茶人の人柄風流めくも、利久宗且が糞を甞める。其余諸芸皆衰へ、己が工夫才覚なければ古人のしふるしたる事さへも、古人の足本へもとどかざるは、心を用ひざるが故なり。しかるに此放屁漢今迄用ひぬ医を以つて、古人も放らぬ曲屁をひり出し、一天下に名を顕はす。陳平が曰く、我をして天下に宰たらしめば又此肉の如けんと。我も亦謂へらく、若し賢人ありて此の屁の如く工夫をこらし、天下の人を救ひ給はゞ其功大ならん、心を用ひて修業すれば屁さへも猶かくの如し。阿吽済世に志す人或は諸芸を学ぶ人、一心に務むれば天下に鳴らんこと屁よりも亦甚し。我は彼の屁の音を貸りて、自暴自棄未熟不出精の人々の睡を寝さん為なりといふも又理屈臭し。予が論屁の如しといへばいへ、我も亦屁ともおもはず。