支那の新人たちは、日本の真似をして、娼妓や妾を公認する事は、もつての外の儀である。すべては欧米光進国を見習ねはならないといふ御託宣である。日本も飛んでもない所を握まれて、婦女を虐待する国は野蛮国である。で日本も……といふ訳で、排日の道具にさへ、吉原を使つて居るのであるが、支那の現代は、なかなかに女を品物扱ひにする所か日本所の比ではない。
昔時から凱旋将軍に、引出物として、君王の後宮の女を贈られて居つた。
『この者は、予が寵愛して居る女であるが、其方が此度の殊勲を賞し、褒美として取らす事であろうぞ。大切に愛で遺はせ』などゝ、体よく使ひ古しの飽きが来たのを、臣下にさげて居つたのかも知れないが、往々に繰り返されて居た事実である。
こんな訳で、今でも女といふものが、まるで品物同様に売買される、結婚といふのからして既に下流社会になると、金で妻を買ふのと同じで金が無い男は、一生独身で送るのである。
満州辺に出稼ぎをしてゐる乞食のやうな苦力連が、何を楽しみに、喰ふものも食はないで稼いでゐるのかと訊くと、其の大部分は妻を得んとするからと答へる。僅か二三百の金を女の家に贈つたならば得られて、妻となる者がうじやうじやゐるのであるが、其がなかなか困難である。
それで独身者が多く、兄弟で一人の妻を持つてゐるのが居るし、困つて来ると元来金で買つたと同じ女だけに、また売り飛ばしたり、或ひは借金の抵当に、先方へ妻を渡して了ふのが幾らもある。
近頃、これに就いて、面白い珍裁判が起つた。それは十年の期限で、妻を抵当に借金をした所が、幸ひにも借主が、返済をする事が出来るやうになつたので、いよいよ金を返へして、妻を戻して貰ふとしたが、余り長い期限があつたので、借王の夫よりも、貸主の男の方に情が移つて了ひ、什麼しても帰へつて来なくなつて了つた。かうなると、さあ大変だ。
そこで夫から告訴となり、説諭位では収りがつかなくなつたのである
そして其の借金の証文は左の通りの珍文。
借金証書
右金額借受候に就ては、表記の抵当差出可申候期限を経過して返済致さざる節は拙妻は貴殿へ差上候尚期間内に生む子女は貴殿に帰し並びに疾病死亡等に就いては決して異議無之為後日一札如件。
まあざつとこんなやうな訳文であるが、憑といふ男が、妻を抵当として、周から金を借りたのである。(支那猥談集より)
日本では先頃妻を寝取られた上に、相手の男から脅迫せられて、
今後拙妻は貴殿に差上ぐ可く、これに関しては異存無之
といふ証文までいれた大たはけ者がゐた。
これは家運を挽回せんために、種々と金策を依頼してゐた相手の男が親切顔に取振まひ、亭主が無学で、妻君がやゝ教育があるのを鼻にかけ夫婦仲が円満を欠いてゐた間隙に乗じて妻君と通じ、そのあげ句、妻君は妻君で相手の男と意気投合するに至つて立派に姦通罪が成立し、その上に亭主に現場を押へられ、あべこべにピストルを取り出して強迫せられたのである。
これはその当時の新聞紙を賑はした姦通強迫事件であつた。