色ろ眼及接吻の快感

谷崎潤一郎氏の小説『刺青』の中だつたと記憶する。

駕籠の中から若い女の足、しかも奇麗に揃つた足の指を見て、男は異常の昂奮を覚えたことがかいてあつた。

又同氏の作の一節に、二人のデカタンな男の会話として、

『君はもう眼だけで沢山になつたかね?』

『ウン、僕は眼だけで十分だ……』

と女に対して眼で見ただけで一種の○○が達せられるといふ様な意味の事がかゝれてあつた。

ある男が、その友人の家に同居してゐた。

その内にどうした事か、その家の細君とその男とは熱烈な恋に落ちてしまつた。

しかし彼等の周囲は頗る厳重を極めてゐた。彼女には二人の子まであつた。

而してその男にも妻君があつて、妻君と一緒に同居してゐたのだつた。

それでも彼等二人は、子供の眼をしのび、妻君の目をしのび、夫の眼をしのんで、接吻だけを交してゐた。二人はそれ以上の行為は出来なかつたし、又深くそれを慎んでゐた。

こうして人眼を忍ぶ接吻は一ヶ月位はつゞけられた。

ある時は台所の隅で、物置のかげで、或時は廊下の隅で、また或時は暗夜の露次に彼女の帰るのを待ち合はせて、─。

然し二人の間はすぐに感づかれた。

そうして一ヶ月位にして相共に別れなくてはならぬ運命におかれた─

その男はその後その時のことを述懐して、

『あの接吻の快感は一生忘れられない。恐らく今後一生涯、再びあんな接吻を味はう機会がないだらう。私たち二人は接吻だけで十分満足してゐたのであつた。○○などを強りて考へやうとはしなかつたのだ。』

○○を行ふにしては、あまりに周囲がうるさすぎた。かくして二人は接吻によつて、それ以上の満足を得たのであつた。

前者の二例はいさゝか変態者めくが、而し多くの場食周囲に障害のある際は眼が唯一の働きをする。

いはゆる『色眼』なるものがそうである。

ヂツと相手を見つめる。相手も、ヂッと見返す、眼と眼の交錯、眼と眼の性的満足。

その眼はお互に燃えてゐる。

昔から『眼は口ほどに物をいひ』といふ文句があるが、恐らく眼ほど移心伝心の妙を得たものはあるまい。