強姦といふのは、他人の意志に反して之に暴行を加へ姦淫することである。女性の男性に対する強姦は想像されないではないが、生理的機能からして、全然之は不可能に近い。只普通一般的に行はれるものは男の女に対する強姦である。
社会的に見ても法律的に見ても、人間として恥づべき行為であり、且つ恐るべき犯行であるが、実にこの犯罪は多いのである。統計的表面に現はれた数字は少ないのであるが、家名を重じ、体面を考へて之を発表し又発表されることを拒むことは非常に多いのである。
他人の意志に反したと云つても、決して暴力に依るものゝみをいふのではない。他人が反抗出来ないやうにして置いて之を犯す場合も又強姦である。世間を騒がした医博大野某の如きは女の無智に乗じて、之を犯したもので、実に憎むべきものである。他人を欺いてこれを犯した場合も勿論強姦たるや言を俟たない。
最近こういふことがあつた。東京帝大の某所はよく男女の密会所になつてゐるのであるが、某文学士が曾つてこゝを通りかゝつて、男女の密会者を見つけ、本郷本富士署の刑事と偽つて、之をおどかしたところ、非常に相手が恐怖したので、之に興味を覚え、遂に男を帰へした其後で『自由にならねば、警察につれて行く』といつて、やすやすとその女を犯したが、遂には密会者の貞操のみならず金品をも奪取するに至つた。この偽刑事を装つて女を犯し、且つ金品をまで奪取したといふ事は、常識をもつてしては考へられないことであるが、而もそれが、最高学府を出た妻子ある堂々たる文学士なるに至つては、言語同断の話しである。
強姦は主として体方の一人前のものが行ふのが通例であるが、未成年者にもある。それは不良少年等が大人に劣らぬ罪を犯すものである。或時、池袋附近の通行稀れな場とか物陰等へ学校通ひの少女を誘ひ出し強姦をなす者があるのを探知し、捜査した結果、被害者は西巣鴨町池袋の一四四八番地須藤某(当九歳)外八名の少女で、犯人は日暮里町五十一番地笠原某の二男、独逸協会中学一年生の満夫(仮名)といふ十四歳の少年であったのである。
強姦罪を犯す者は、其年齢に区別はない。上述の如きものもあるが、特に老年者に多いことは注意に値する少女強姦に度々聞く事があるが老人が何故強姦を犯すかといふことは、老人の性欲に異常になってゐて普通の方法よりも異った方法によって、その性欲を満たさうとする為めである。花柳界に於いて少女の所謂旦那なるものは、老人に多いことである。
最近横浜で起った事件は、之を如実に物語るもので、大正十四年八月十六日夜横浜市南大田町二〇五〇附近を伊勢崎町署員が密行中、同所の松崎辰次郎方から救ひを求める女の悲鳴が聞えたので、飛び込んで見ると、一人の老人が十七八の女に暴行を加へてゐたので、引っ捕へて調べて見ると、男は、前記松崎辰次郎(五九)といひ、女は同町一〇五〇山口伊太郎長女、フェリス女学校四年生山口みえ(一七)(仮名)といひ、去る九日みえが同所附近を通行中自宅に連れ込み、監禁して暴行を加へてゐたが、松崎は窃盗前科五犯の男で、妻に死に別れ、独身生活の淋しさから、不良少年を使役して、婦女を誘拐し、自宅に監禁して弄んでゐたもので、彼の毒牙にかゝつた女は二十数名に及び中には相当良家の子女もあるが、身分を恥じて泣寝入りとなってゐた。尚みえが誘拐された時にも十三四歳位の少女が押入れの中に監禁されて居り、押入れの中で暴行を加へられた形跡があった。
斯くの如きは既に、一種の狂人に等しいものであるが、我国の強姦罪で見逃す可からざる原因の一つは、迷信である。古来我国では花柳病にかゝた者は、処女を犯せば全治するといふ迷信がある今でも尚この迷信を信じて処女を犯すしれ者がある。而も花柳病患者である。その恐るべき害毒を思ふ時は戦慄せざるを得ない。かゝる悖徳漢こそ厳罪に処すべきである。
(前田誠孝)