おまん源五兵衛(西鶴好色五人女の内)

その頃、同じ城下の浜の町といふ所に琉球屋何某の娘におまんといふのがあつた。年は十六。心持ちやさしい中に何処か思ひつめたるところあつて、近傍に美人として有名い娘であつた。

おまん何時からともなく源五兵衛を思ひ慕つてゐた。思ひを寄せる手紙を度々書いた。

たゞ一筋に弱し、穢なしと女性をいやしむ源五兵衛はその手紙を見るさへ恥のやうに思つてゐた。

無論、返事なぞ書く筈がない。そのまゝにすぎた。

十六といふ娘の年頃、そここゝから伝手を求めて、似合ひ不似合ひともに、縁をいひ寄る者も多かつた。

おまんはそんな話、聞くさへ悲しかつた。終ひには虚病などかまひ、人のいやがることなぞ言ひ出しては乱人らしく自分を他へ見せたりした親々も持てあまして、たゞ娘のいふがまゝに任せる外は無かった。

おまんは余程経つまで源五兵衛の発心を知らなかつた。成る人に聞いて初めて驚いた。そして恨んだ。けれども、思ひつめることの深いおまんは、この心何時かは遂げずに置かぬと思つた。

恨みにも恨めしい。斯う思つて唇を噛みしめた。

女にも才覚はあつた。女性を忌み嫌ふ若者を引き付ける方法を知らない事はない。自分から剃刀をあてゝ中剃を落し、かねて用意の衣類に、誰が見てもの若衆と姿をかへた。

そして、聞き及んだかの庵室へと忍び入つた。

十一月、もう山路には霜が深かつた、庵室はその山村からも離れた、もの寂しい杉村の中にあつた。

庵室の後は見あげる程の岩組、その前に深い谿谷の流れが瀬音を雨と降らして流れてゐた。おまんはワナワナと胴まで顫えながら、又すくふながらそこに渡した独木橋を渡つた。

平地をたよりに小さな家があつた。片庇をふき下して、霜に色づきかけた蔓草が上つ面に這つてゐる。そして、その葉に凝つた山気がタラリタラリと地に滴り落ちてゐる。

そつと覗いて見たが、人の気勢もない。南の方は少しばかりの明り窓をあけて、山の背をすべつて来る落日のさびしき光りがポツと家の中を射しつけてゐた。炉には灰が冷えてゐた。

おまんは悲しくなつた。見台によみかけてある本をのぞくと、上に待宵の諸袖と書いてあつた。

日が暮れた。山をつゝむ空気が急に冷たくなつた

もはや、夜半とおもふ頃、こちらへ来ると松火の火がチロリチロリと野道に見えた。おまんはかくれて覗いてゐた。

走り寄らうとして気が付くと、その右と左にやつれ顔なる二人の少年同じ頃なるが同じやうな振袖を着たるが、霧かすみのやうに付いてゐる一人は恨むやうに、一人は嘆くやうに見える。

その中に挟まれて源五兵衛は白痴のやうに両方に気を取られてゐた。

おまんが足音を立てゝ走り出ると若衆の姿は谷風に河霧の沈むやうに消えて見えなかつた。

源五兵衛は不審さうに少年姿の人を見てゐた。夢の覚め切らない人のやうにもあつた。

『お身さまは。』と庵の前に目を見張つてゐた、

『私は鹿児島から、やはり所の者でございまする。』

『そして。』

『かねがね御法師のことをうかがひまして…………それで。』

と若者の目をさけて、おまんは苦しさうに俯向いてゐた。

『それは、然し。』

『お弟子になされて下さいまし、私もとよりその心で。』

『なにから、して又、そんな心におなりなされた。』

『八十郎さまのことも何も私は好く存じて居ります。優しいお心入りと聞きまして、何となく悲しく悲しくなりました。』

源五兵衛は杖を地に立てたまゝなやましげに咳嗽してホロホロと涙をこぼしてゐた。

『それでは、この荒法師のかくれ家もお厭ひはなく。』

『はい。』

『真実。』

『御用とあらば何事でもつとめまする、何うか。』

『必ずその心ならば、お見せ下さるな、実はかく申すものゝ私もさびしい身の上。』と熱して来る。黒衣を纏ふ法師の若い血が躍り立つて見える

『これが女人ならば格別、法師堂でも少人ならば仏の手前も一向さしつかへあるまい。』と斯う云つてゐた。

おまんは擽られるほど可笑しかつた。自分ながらソッと太腿のあたりをつめて痛さを試みてゐた。

『その代り、私にもお願ひが御座りまする。お聞き下されまするか。』

『何事でも。』

『必ず?』

『必らずでございまする。』法師まで真顔であつた。

『ならば、還俗なさるか。』

『お易い事。何時からとても差支へありませぬ。』

『必ずで御座います、後はいやと仰せられても聞きませぬ。』

『それならば大丈夫、今日からでも。』と、最う旧い事はすべて忘れてゐた