秋風がたつて夜々の木の葉が騒いだ。冬の寒さを今からの養生に、茂右衛門は偶と灸点を思ひ立つた。それには丁度幸ひ、在所生れの下女にりんいふものがあつて、これが少しは艾のつまみやうを心得てゐた。頼んてすへて貰ふことゝした。
りんの鏡台に縞木綿の蒲団を折かけて、それに腰かけて初灸の熱さを律義さうにこらへる茂右衛門のしかむる顔付、それが可笑しいとて女どもはお乳母から、仲居の若い女どもまで周囲へ集つて笑つた。
それも初めの一つ二つで、馴れるほど火にいくらか強くなつた。背骨をシンシンったって身肉の縮れるやうな痛さを忍んで鹽灸を据えた。
『熱いでせう。もう止しませうね。』りんは歯を喰ひしばつて怺へる男の顔を気の毒さうにいつた。
『なアに、我慢します。』
『だつて、熱つさうですもの。熱かつたてせう。』
おさんの聡い目は茂右衛門をおもふりんの心を直ぐ知つた。心持ちのにぶいりんには又それを秘し隠すだけの気働きも無かつた。おさんは可笑しがつて、面白がって、それを傍から見てゐた。
田舎出のりんには字を書く手がなかつた。下男の久七が心覚えに記ける蹂り書きが羨やましく、それに切ない言をたのんて見ると、却つて散々にひやかされた上に聞く気もないことを耳にさゝやかれたりした。その間に気の腐される彼岸会もすぎて、時雨らしい雨が瓦屋根へハラハラと音を降らしてすぎた。
おさんは或る日、江戸の良人へ内便を書いてゐた。その筆ついでに自分から言ひ出して面白づくからりんの手紙もさらさらと書き流した。茂のじ様まゐる。身よりと軽るく書いて、引結びの手紙をりんの前へ投げ出した。
りんは唯嬉しさ、都合の時を見計つてゐると、或る時見せから煙草の火を、と呼ぶ。幸ひ下男の男もゐない。その火にかこつけて手紙をソソと茂右衛門に渡した。皮肉の厚い胸を跳らせながら台所へ戻つて来た。
書き馴れた手筋を読んで茂右衛門は、顔の鈍さに似合はず優しい気の女と、おりんを然う思った。そして、手紙にひかれて筆面白い返事を書いた。そしてそれをまた。おりんへ渡した。
おりんは貰つた返事を読むにも困つた。おさんの機嫌を見て、成る時それを竊つと襷の袂から出して恥じながら読んで貰つた。
取つて読んて見ると『思ひもよらぬお手紙、此方も若いものゝ事なれば、いやでもあらず候へども、事かさなりては取り上げ婆がむづかしく候。去りながら着物羽織風呂銭身だしなみの事共を其方から賃をお出しなされ候はゞ、いやながら御心にも従ひやるべし。』と、鉋くまで女を冗談にして、嘲るやうな書き方であつた。
『憎いねえ。何んぼ何んだつて。待つてお出で、私がいゝやうにしてあげるから。』斯うおさんは泣き出しさうな顔をしてゐる下女をいひ慰めて又手紙を書いてやつた。
りんとて然う捨てた容色ではなし、余りといへば侮りすぎた男の為方を、おさんは自分の事のやうに口惜しく思つたのである。いやが応でもこの女の恥を救つてやりたいと思つた。好き返事なければ幾度でもといつたやうに、終には本気に引入れられて度々その手紙を書いてやつた。りんは唯オロオロとしてそれを見てゐた。
一度から一度と読む度に文面から茂右衛門の心が動いた。始め嘲つたことを悔みながら素懐しい事も書いて渡した。又五月十四日の影待ちにはと、固く日を決めて約束をばいひ送つた。
おさんはその手紙を見て、女どもと一つになつて、声のある限り笑つた。すると中にゐたお針の婆がいふには、とてもこの上のなぶり事には奥様がりんに伐って寝床にゐたら面白からうといふ。そして、おさんが叫ぶ声に合はせて女中共は紙燭の火を差し出して男を嬲り笑ひにする手筈である。
『それは面白い。好いからお前達も思ふさま言つておやり。』
おさんも気軽るくはしやいで、生綿の入つた下女の寝間着に姿をやつした。
おさんは固い蒲団のさむさになやみ疲れて、明方頃の一時を快よく卜ロトロと眠つて了つた。
棒、薪なぞまで用意して待つてゐた女どもゝ、宵からの騒ぎにもうおさんより前に鼾を掻いて寝込んでゐた。
朝おさんは覚めた。そして自分の体に驚いた。最う何うする事も出来なかつた。
『何うせ斯うなつたのだ。』おさんは存外に思ひ切りよくその心を決めた