荒淫の悪魔師直

室町時代に於ける上流家庭の紊乱は極度に達してゐた。恋愛といふよりも、むしろ醜い肉欲生活に駆られて日もこれ足りない有様であつた。その内でも最も代表的な者として高師直をあげる事が出来る。太平記には彼の事をこう叙してゐる。

「師直若かりし時より好色、勝れたる人なり。始め高六郎太郎と申せし時、鎌倉の赤橋の前の相州内室の召使はれし女房六御前と申せしを何つの間にか見染めたりけん。玉札の数千束も重ねけれど六御前は人に召仕ふる身の仇名立ちては何かせんと最も強面き様なりければ師直今はひたすらに恋の病ひとなりて虚く死なんよりは赤橋殿へと参りけり(略)赤橋殿御身には未だ妻女はなきやと問ひ給ふ。師直曰く、妻女は候へども男と生れし者の誰か一人の妻女を持つ事の候やと申す。赤橋殿其故にこそ、彼女も定めてなびかでこそ候はめ(略)漸くになだめて帰させけり(略)幾程もなく世乱れて軍度々とにけるに、数度の高名あり勇の誉一つを以て諸悪を隠しけるにや、中にも好色に最と甚き男なるにや関東にも思ひ人六人、未だ天下君の御代にして、尊氏威もさまでなかりしかば、師直が所領も僅かなりけるに、京中に通ふ方二十余人とぞ聞へん。覚なん在ければ、我領内を取納めば中々半分にも足らざりければ、普代の郎党共には京師に強盗する事多かりけり、去れば所々在々にて盗賊人を取へて見るに、師直が郎党なりしといひし云ひし事度々なりし(略)富貴身に余る様になりて師直いよく心侈り好色益々甚し。公家の事は中々申すに及ばず宮腹なんどの無止事なびき給はずも取り奉り一夜二夜にて通ひ捨つる事多かりける。思ひ籠め奉る女已に六十人に余れりとにや、又国人なんとの女、みめ形優なるをば押へて之れを取る事多し。公家武家に限らず、誰某が内室こそ実に以て美人に候なんど云へば、其の男を呼び寄せ、あかなきを離別させて之を取る数多かりしとにや。蓋して京童部の妻女の事申すも中々愚なるとにや、上の好む所下も同じゆするならひなれば、高豊前守同じき上佐守舎弟越前守等を始めて、其の外の一類家の子郎徒等の好色侈り皆これに同じ、執事の一類皆如是なれば、他家の人々も皆これを真似たり。去ればこそに諸国の侍ども、大名高家の人と参会の物語には好色と寺社領を横領の事より外はなかりしとにや、依之世に捨てられし遁世者、なま才覚ある先代の余党等京中並在々とはしり廻りて、美女の有ると聞き出でんと、耳をそばだて歩行し、大名高家の人々に之れを語りけり。取り得て宝禄を得んが故なり。此の故に顔色美なる妻女並に息女なんど持ちたる者は、深くこれを隠しおきて其人の女何がしの内室こそ美女なれなんど請ふをば穴勝之を恨む。東施に依たりやなんど請ふをうれしき事に思へり。実にみだりがはしき天下哉と思はず請はぬ事こそなかりけり」

今一つ「塵塚物語」に書かれある一節を抜萃して見やう。

「高武蔵守師直が、淫欲熾盛なる事をささ書きしるして世に伝へたれど、此の外の不義ばかりがたしと見へたり。ちか頃ある武士筆久しく所持して侍るをかしき草子なりとて見せ侍り。其の中には師直が一生の淫事のしなを挙げて同じく其の女をしるしとどめたる物なり。始終見侍るに世にいへる事は十のものこそばかりなるべく。中々片腹いたく悪き振舞言葉にいひ尽しがたし。当代いさゝか遠慮の人もあれば、其の姓名をしるし其のしなを現しがたき事侍る。就中悪き振舞なりと覚へしは彼師直が家僕多き中に、美しき女房をつれたりし侍を撰り出し、その女房共の形を見ん為年五十ばかりなる女房をしたゝめ、師直を室屋のきげんよろしき女房也と号して、かれが方へなんとなく私のとふらひのやうにして折々つかわしければ、同じかはほんそうせざる可き、主君御出頭の上うりの御とふらひなりとて、やがて奥の間へ請じ入れ、主人の女房装ひ飾りて出てゞもてなし侍る。斯くの如くして彼のよき女房の数を見つくし、師直に申しける間、師直喜び其後一両日を過て彼等が許へいひ遣しけるは、執事様の御奥よりたれかしの内室に御用あり、早々参られて御目見へ致されよと右の老女を遣はしける間何の御用にや侍らんかしこまりて侯と、何れも御うけ申して師直が方へ祗候したり。今日は晴がましきお目見なれば、我劣らじと飾り出でたれば彼の周の褒姒、秦の花揚、漢の季夫人昭君貴姫が如きの美女、今こゝに再現せると怪しまれける。彼女房どもの容貌を二た目と見るともからもなし。やゝありて奥より申出で侍るは、唯今大勢にて奥へ御目見へ侍る事しかある可からず、上にも一人宛召し出せとの御定意ある間、何れの御方にてもよづ一人参らせ給ひとて彼の女房の中一人を伴ひ奥の座敷へ請じける。時に師直奥と口との間に一間をかこひかくれて彼の女房の足音聞くとひとしく立出で捉へては返し、或は懸想しなど尾籠をつくし理不尽の振舞なれば、女房共も是非なく心ならずして師直が所存に従ひけり。斯の如くにして多くの女房とたはぶれつゝ帰しけるとぞ、其の時のさまこそは物狂はしく。ことやうにあるべしと片腹いたく覚え侍る。女房共帰り侍れど、斯る事いひ明す可きにあらねば、今日は御気嫌よろしといひへるまでにて止みぬ。其後は切々御召しあるといひて呼び寄せけるとぞ」