色魔業平の誘惑振り

平安朝時代において和歌が如何に恋愛遊戯の技巧に用ひられたかは、その当時の数ある恋歌を見れば判るであろう。

と共に和歌をよくし。文学的才能のある男女が如何にもろもろの恋愛に恵れたかを知る証拠の一として天下の色男業平をこゝに引き合に出して見よう。

業平は平城天皇の御子阿保親王の第五子である。右近衛中将兼美濃守に任ぜられた世に在五中将といふは、彼の官名から出たものであるといふ。五十六で卒したが、当代に於ける和歌の達人で、古今集にも彼の詠歌は可成り多く掲げられてゐる。

業平が陽成天皇の妃高子を未だ入内せしめないうちに之と通じた事などは有名な話しで、高子をつれだした時の光景が伊勢物語にはこうかゝれてゐる。

を、辛ふじて女の心合はせて盗み出でゝ、いと暗きに卒て行きけり。芥川といふ川を行きければ、草の上に置きたりける露を、彼は何ぞとなん男に問ひけるを、行く先はいと遠く夜も更けにければ鬼ある処fニなん男に問ひけるを、行く先はいと遠く夜も更けにければ鬼ある処とも知らで、雷さへいと甚しう鳴り雨も甚う降りければ、荒らなる倉の有りけるに女をば奥に押入れて、男は弓胡箭を負ひて戸口に、早や夜も明けなんと思ひつゝ居たりけるに、鬼早や女をば一口に喰ひてけり。あなやと言ひけれど、雷の鳴り騒ぐに得聞かざりけり。漸く夜も明け行くに見れば率し女なし。足摺をして泣けども早甲斐なし。

白玉か何ぞと人の問ひし時、露ぞと答へて消なもし物を。

この業平の通つた女の数に就て長禄記にはこう書いてある。

彼の伊勢物語は業平の一生涯を沙汰せる也。契り給ふ女人の数は三千三百三十三人也。然共彼の物語には其の数をば書ず只十二人美人第一紀在常娘、第二文徳天皇染殿后也、第三小野小町、第四閑院左大臣の女仁明天皇五條の后也、第五中納言長良卿の女清和天皇二條の后とて業平殊更に打ちも忘れず晦事なく思食す。第六長谷雄卿の妹に恋死の女也、第七文徳天皇の姫宮伊勢斎宮女御、第八筑紫河女也、第九中納言行平女清和天皇後裔貞純の親王御母也、第十大納言登卿女めづらしの前也、第十一周防伊勢也

まことや、業平をさして天下の色男と称え、後世天下の色男を目して「今業平」なんぞと称ぶのは、こうした所に拠つたのである。