女の脛を見て通力を失つた久米仙

一女性の為めに仙人から凡俗に還った久米仙人の事はしばしば人口に膾炙せられてゐる。

近ごろては『久米仙」などといふ立派な言葉まで出来て、助平男の代名詞となってゐる。

徒然草には、

「世の人の心をまどはす事、色欲にはしかず、人の心は愚かなるものかな、にほひなどは仮のものなるに、しばらく衣裳にたきものすと知りながら、えならぬにほひには必ず心ときめきするものなり、久米の仙人のもの洗ふ女の脛の白きを見て通力を失ひけむはまことに手足肌などの清らかに肥へあぶらづきたらむ外の色ならねばさもあらむかし」

と論じてゐる。

この久米の仙人の伝記については、今昔物語から引用して見よう。

「今は昔、大和国吉野郡に龍門寺といふ寺あり。寺に二人籠り居て仙人の法を行ひけり。其の仙の一人をば安曇(あんどん)他の一人をば久米(くめ)といふ。然るに安曇は前に行ひ得て既に仙になり飛びて空に昇りけり。後に久米も仙に成りて空に昇り飛び渡る間、吉野川の辺に若き女衣を洗ぎ立てり、衣を洗ふとて女脛まて衣を掻き上げたるに、脚の白かりけるを見て久米心穢れて其の女の前に落ちぬ。其の後其の女を妻としてあり。

其の久米仙只人に成りたるに、馬を売りける渡文に前の仙久米とぞ書きて渡しける。而る間久米の仙其の女と夫妻としてある間、天皇其の国の高市郡に都を造り給ふに国の内に夫を催して其の役とす。然るに仙久米其の夫に催されて出てぬ。余の夫等久米を仙人仙人と呼ぶ。行事官の輩あり之を聴きて問ひて曰く、汝等何によりて彼を仙人と呼ぶぞ、夫共之に答へて曰く彼の久米は先年龍門の寺に籠りて、仙り法を行ひ既に仙になりて空に飛び渡る間、吉野川に女衣を洗ひて立てりけり。其の女の塞げたる足の白かりけるを見下し、其の心穢れ忽ち其の女の前に落ちて即ち其の女を妻とし侍るなり然ればそれによりて仙人とは呼ぶなり。行事官等之を聞き然て止ん事無かりける者にこそあるなれ。本仙の法を行ひて既に仙人になりける者なり。其の行の徳定めて失ひ給はず。然れば此の材木多し、自ら持ちて運ばむより、仙の力を以て空より飛ばしめよかし戯れ言いひ合へるを久米聞きて、我仙の法を忘れて年頃になりぬ、今は只人に侍る身なり、然許りの霊験を施すべからずといひて心のうちに思はく、我仙の法を行ひ得たりきといへど、凡夫の愛欲によりて女人に心を穢し仙人に成る事こそ旡らめ年頃行ひたる法なり。本尊何か助け給はんこと無からんと思ひ、行事官に伺ひ然らば若しやと祈り試みんと行事官之を聞き、鳴滸の事をいふ奴かなと思ひながらも極めて貴かりけむと答ふ。其の後久米一つの静かなる道場に籠り居て心身清浄にして食を断ちて七日七夜不断に礼拝恭敬して心を致して此の事を祈る而る間七日既に過ぎぬ。行事官久米の見へざる事を且つ笑ひ且疑ふ而るに八日といふ朝、俄に空曇り暗夜の如くなりぬ。雷鳴り雨降りて露物見へず。此を怪み思ふ間に暫時ありて雷止み空晴れぬ。其の時に見れば、大中小の若干の材木併せて南の山辺なる杣より、空を飛びて都を造る所に来にけり。其の時に多くの行事官の輩敬み貴みて久米を拝す。其の後此の事を天皇に奏す。天皇も之を聞き給ひ貴び忽ち田三十町を以て久米に施し給ひつ。久米喜びて田を以て其の郡に一の伽藍を建てたり久米寺といふ此なり」